実は、震災前の平成6年まで、西宮市には花火大会があったのです。西宮市民花火大会という名称で昭和63年から始まったこの行事は、西宮浜4丁目南岸で行なわれていました。 花火は、発炎筒の煙をバックに鮮やかな7色のレーザー光線がおりなす光の矢で幕開け1600発の花火が打ち上げられ夏の夜空に光の花を咲かせていました。

 その他にも西宮市消防局音楽隊の音楽ショーや放水ショー、また屋台の出店やのど自慢大会などが行なわれ雰囲気を盛り上げていました。フィナーレはスターマインとレーザー光線の競演で、絶え間なく打ち上げられる大玉の花火を眺めながら、人々は暑さを忘れ、光のショーに酔いしれました。

 規模は小さいながらも、西宮市内南部であれば、家からでも見ることができたので地元の花火大会として親しまれていました。最後となる平成6年(第7回花火大会)のときは4万5千人(主催者発表)が訪れたそうです。 その翌年阪神大震災があり、被害の大きかった西宮市は花火大会に費用を充てるよりまず復興優先ということで、花火大会は中止となってしまいました。西宮浜も仮設住宅が立ち並びそれどころではなかったというのもあるようです。 
 
 西宮市近隣の花火大会も、芦屋、尼崎、伊丹と中止になり、宝塚と川西の猪名川花火大会だけが復興の起爆剤にと行なわれました。その後復興がすすみ、各花火大会が復活していく中、西宮市は西宮浜に住宅ができてしまい花火大会の会場を確保するのが難しくなったということからそのまま中止になってしまったようです。しかし、いつの日か西宮市でも花火大会を復活してほしいと思います。今回の取材にあたり、西宮市役所、文化振興財団のご協力をいただきました。残念ながら当時の資料はほとんど残っていないそうで、当時の事を知っておられる方にお話を伺わせていただきました。

                      (西宮の情報誌ゲッチュ!2003年8月号の取材記事より)

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